頑張れなんて言えないという談話。
放送作家のコウノです。
「ラジオとテレビの兼営局は、ラジオで放送停止の案内を逐一報告しているから、サイトやネットだけのテレビ局より有利」という、ラジオ原理主義みたいなツイートを見た。
違うと思う。
そんな話じゃないよなぁ。
なんか、はしゃいでるような人たちに違和感を持ちました。
ただ、停波後に始まった夜8時からの自社制作のラジオ番組、アナウンサーは本当に必死に、放送局、ラジオ・テレビ兼営局としての仕事を貫こうとしていました。
TV放送が視聴者に届かなくなった時は、週1のG帯自社制作の情報バラエティ番組が放送されていたようで、ラジオ番組にも「番組見てたのに」といったメールが幾つも寄せられていた。アナウンサーは言った「それでも、TV番組はいつ電波が復帰してもいいように、スタジオは通常通り番組を進めていたんです」と。
番組はアナウンサーと女性占い師が喋る番組。女性は局に到着したら大騒ぎで、お年賀の菓子を渡しそびれ、生放送が始まってからそれをアナウンサーに渡した。彼は生放送中にひと口食べて「あ、甘い」と一言、再び喋り出した。放送前に起きた騒ぎに、食事どころか準備も侭ならなかったようだ。
番組は選曲の準備も整わず、ほぼ中味も決めないまま始まった。途中、お詫びと状況報告が繰り返され、レギュラーの人生相談や占いのコーナーで番組を進めていく。同僚のアナウンサーが数枚、番組でかける用にと、CDを持ってスタジオに来たという。切羽詰まった中、停波とは別の場所で走り回り、放送を支える人はいる。
「えーと、コレ何曲目?」なんて声が放送にのる。共演の女性占い師は「こんな時だから、ラジオはね」と話す。
確かにラジオがあってよかった。でもそれはラジオがいいという話じゃなくて、今ここで踏ん張って、正確に状況を伝えるためなら形振り構わずやらなきゃいけない。
金沢で働く放送マンの方々は皆さんは、同業他社とて心配されていることと思う。僕は、片町スクランブル近くの店で、おでんを突いた人々の顔が思い浮かぶ。
放送が見聞きできる日常、送り出せる日常が、1秒でも早く、でも安全に、焦らずで。僕は、頑張ってなんて言えないのです。